平成17年特別歴覧会
日時 平成17年6月17日(金曜)〜19日(日曜)
集合 17日(金)JR仙台駅2階コンコース 午後12時30分集合
解散 19日(日)JR仙台駅前午後3時
講師 齋藤忠一先生
見学 みちのくの庭園と文化財
■予定コース
17日(金) 仙台駅12時45分出発―我妻家住宅―六面石幢―高蔵寺並びに旧佐藤家住宅
―富沢磨崖仏―仙台市内
・宿泊ホテル
ホテルベルエア仙台 仙台市青葉区一番町1−4−8
TEL 022−217−8511
18日(土) ホテル8時出発―陸奥国分寺―善応寺―旧有備館と庭園―双林寺―厳美渓
―達谷窟・磨崖仏―無量光院跡―観自在王院跡庭園―毛越寺庭園― 一関市内
・宿泊ホテル
ホテルサンルート一関 一関市上大槻街53
TEL 0191−26―4311
19日(日) ホテル7時45分出発―中尊寺山内の金色堂・旧覆堂・白山神社・能楽堂・讃衡蔵
・大長寿院経蔵・願成就院石造宝塔・釈尊院石造五輪塔・他―仙台駅・午後3時到着・解散
※よこみち組は次ぎの見学地へ
旅費 30人参加で 御一人70.000円也
臨時参加は 3.000円増
食事 17日夕食から19日昼食までの全食、御用意しています。
便利 「林泉」5月号・第623号・P3〜4 参照
■見学先詳細
17日(金)
@我妻家住宅 江戸中期・享保頃 重文
白鳥明神の禰宜を勤めたいたので禰宜屋敷と呼ばれ、また克って建物の全長が25間あったので
「25間」とも呼ばれていた。茅葺、寄棟屋根が美しい。
A六面石幢 江戸時代
基礎と笠は6角であるが、幢身は円柱で、蓮座上の六地蔵を厚肉彫する。この地方に数ヶ所知ら
れている。
B高蔵寺阿弥陀堂 平安末期 重文
方三間、茅葺で宝形造。太い柱に舟肘木を乗せただけの、極簡素な建築であるが、木割大きく
堂々とした阿弥陀堂。
・高蔵寺本尊阿弥陀如来 平安末期 重文
丈六の阿弥陀如来坐像で、寄木造りに漆箔を施す。建築と共に、平泉の藤原秀衡と妻の発願で
造られたと伝える。
C旧佐藤家住宅 江戸中期 重文
仙台領内の中農家の典型とされ、広間型三間取りの単純な構成で、土間が全体の四割を占める。
寄棟造り茅葺屋根が美しい。
D富沢磨崖仏群 鎌倉後期 県指定
凝灰岩の岩肌を利用した仏龕の阿弥陀を中心に、附近の龕に六地蔵・虚空蔵などの石仏を安置
する。阿弥陀坐像の高さ2米強、1米程彫り窪めた中に厚肉彫する。壁面に鎌倉後期の年号を刻む。
E善応寺「蒙古の碑」 鎌倉時代
鎌倉円覚寺開山無学祖元が、空門の弟子清俊に命じ、弘安の役で博多湾に沈んだ蒙古兵、
十万を弔うために建立したと伝える。高さ約2m、巾90pの自然石に、5行に渡り銘文を蒙古文字?で刻む。
18日(土)
F陸奥国分寺 奈良時代 史跡
・陸奥国分寺薬師堂 江戸初期 重文
伊達正宗が泉州(大阪府)の工匠駿河守宗次等を招いて再建。慶長12年の棟札がある。方5間、
廻縁を廻す。入母屋造本瓦葺、向拝をつける。破風は雄大で、桃山風の建築。
G旧有備館と庭園 江戸初期 史跡名勝
館は書院造りで、寄棟茅葺の建物2棟から成っている。書院・欄間など見所が多い。藩の子弟教
育の場であった。庭園は石州流茶道清水道竿作庭と伝える。池泉回遊式で、池中に4島造る。
書院の佇まいも美しく、雄大な大名庭園。
H双林寺薬師如来坐像 平安中期 重文
杉薬師と称される薬師堂の本尊。欅の一木造りで、東北地方に多い欅材彫刻では古い方で、もとは
漆塗りであった。
・双林寺持国天・増長天立像 平安中期 重文
本尊薬師像を納めた厨子の前に立っている。欅の一木造りで、神将形の天部像である。
少々いたんでいるが、材質感をよく表現している。
・薬師堂の姥杉 県指定天然記念物
樹齢1200年、県下第一の巨杉。
I達谷窟
延暦の昔、坂上田村麻呂に討たれた夷酋悪路王がこもったと伝える。懸造りの毘沙門堂は昭和36年
に復原された。鞍馬寺の毘沙門天を勧請して本尊とし、108?の毘沙門天を安置して、鎮国の寺としたと伝え る。
堂脇の岩壁に、縦4m程の大日如来が刻まれている。磨崖仏の北限として貴重である。
J無量光院跡 平安末期 特別史跡
奥州藤原三代秀衡が、宇治の平等院を模して建立したと伝える。大きな島の上に翼楼のついた本堂を
建て、本堂前池に三棟の建物のある中島を設けた、典型的な浄土庭園になっていた。
K観自在王院庭園 平安末期 特別史跡
毛越寺の東に隣接する観自在王院は、基衡夫人が営んだと伝える。池北岸に阿弥陀堂と九?阿弥陀堂、
東岸に鐘楼と普賢堂と伝える建物が建てられていた。池中に中島があり、ここも浄土庭園になっている。
発掘後復原整備され、史跡公園になっている。広大な池泉は、優雅な雰囲気である。
L毛越寺庭園 平安末期 特別史跡名勝
発掘整備されて、真に素晴らしい庭園になった。円隆寺金堂の南庭で、大池泉に中島を築き、橋をかけた
浄土式庭園であった。中島、荒磯石組、遣水、州浜、岩島、どれも素晴らしい。円隆寺金堂は、京都岡崎(京
都市動物園附近)にあった、白河天皇の御願寺「法勝寺」金堂を模して造られている。この地の地名はといい、
毛越の御寺から「」となった。宝物館も見学する。 19日(日)
M中尊寺境内 特別史跡
・願成就院宝塔 平安後期 重文
塔身は少し背の低い壺形で、四方の月輪内に金剛界四仏の梵字を薬研彫する。完存で形式が整い、
細部は洗練されて美しい。
・釈尊院五輪塔 平安末期 重文
返花座の一側面に、たて書にして仁安四年(1165)の刻銘があり、わが国在銘最古の五輪塔である。
空・風輪下部の風を欠損しているが、下の火輪(屋根)は軒薄く穏かな反りで、屋根勾配のたるみも少なく、
火輪上に薄い露盤を刻出するなど古調をしめす。
・白山神社能舞台 江戸末期
白山神社は中尊寺の鎮守で、中尊寺の講演・神事が行なわれ、能舞台で神事能が奉納される。現在の建物 は嘉永
6年(1853)の再建になる。
・金色堂 平安末期 国宝
藤原氏初代清衡が15年の歳月をかけて建立、天治元年(1124)に完成した。方三間、単層、宝形造りの
阿弥陀堂で、内外とも金箔をはり、七宝荘厳など美術・工芸の粋を集めたもので、須弥壇内に清衡・基衡
・秀衡三代の遺骸が納められ、壇上に阿弥陀三尊・六地蔵菩薩・二天像と32?の仏像が安置してある。
・金色堂旧覆堂 鎌倉中期 重文
金色堂が建てられてから165年後、風雨に晒されていたのを保護するため、正応元年(1288)幕府執権北条
貞時・
信時の二人が覆堂を建立した。
・讃衡蔵(宝物収蔵庫)
中尊寺一山17ヶ院の国宝・重要文化財を一堂に集め、災害から守ると同時に一般の観覧に便利なように
建てられた。
平安時代の技術の粋を集めて製作した、第一級の美術工芸品を鑑賞することが出来る。
・常住院宝塔 平安末期?
山王堂の傍らに基礎を欠いて建つ。塔身と笠のみであるが形は良い。塔身四方の月輪内に、蓮華座上の
四仏種字が
薬研彫されている。塔身と笠石は空洞。
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