矢田越え街道の南に源九郎稲荷神社があります。源九郎稲荷神社は源義経が厚く信仰したところで、義経千本桜の狐忠信はこの稲荷の化身と伝えられ、義経が奥羽に下るとき源九郎の名を贈ったことから源九郎稲荷と呼ばれるようになったといいます。 このあたりは昔の郭町で千本格子の妓楼がびっしりと並んでいたそうです。総千本格子の三階建て、奈良格子と千本格子の組み合わせ。おそらく昭和初期の建物なのでしょう。今は五軒しか残らず、その内ほとんどが無住だというこの町の細い道を歩いていると、かつて華やかだった木造建築の技術や指物がなくなってしまうことを残念に思います。幸い旧川本楼を大和郡山市が管理することになったという話を聞きました。建物の生かせる使い道を考えてください。
『林泉』第585号 平成14年3月号 第586号 平成14年4月号 第587号 平成14年5月号「ぶらぶらある記」より